MOTHER'S ROCK

Rock
Illustration by Baobab

オフ・ザ・ロック

突然のことだけれど、クリアしてしまったのである。

ああ、普段だったら終わったことに対する達成感が あるのだけれど、 なぜか、今の僕には降伏感が漂っているのである。

僕がこの世界の終焉を迎えたのは、いつもの事ながら、 電車の中であったし、いつもの事ながら、 電車を降りる時間であった。 幸い、自宅への帰りの電車であったので、 時間を気にすることはなかった。

話の内容は詳しくは書かないが、 僕はある言葉で心を熱くした。 それは、何気ない一言であったけれど、 とても暖かい言葉であったこと、 それを発した人の存在を確かに感じてしまったことが、 こんなにも僕の心を揺らしたのだろうと、 僕は夏の夜の暖かい風に包まれながら思っている。

今は、色々とグラフィックの綺麗なゲームが沢山あるけれど、 これだけチープであっても、なお魅力のあるゲームであるのは MOTHERが言葉のゲームだからであろう。

想像する。という行為は人間だけが行えることである (と僕は思っている)のだけれど、 頭の中で世界を組み立てることを僕は素直に楽しんでいた。

脳というものはよく出来ているもので、 ある病気で、脳が半分ないという人が居て、 残りの脳で、失われている脳の機能を代替して 生命を維持しているという話を聞いたことがある。

脳には、様々な補完機能があるのだろうが、 不完全であれば、それを補い完全な世界に近づけようと 動作するように出来ているということは、 常日頃感心することの一つでもある。

ポリゴンが少なく、角ばった戦士たちが戦うあのゲームも 音だけしかなく、台風の日に電気を消してやったあのゲームも 僕の中ではリアルだったし、滑らかに動いて、 とても生き生きとしていた。

俳句や短歌が、とても美しく、流麗で、趣深いのも、 言葉が短いゆえの、想像力の補完であろう。

抽象的であればあるほど、そこには空間を越えた普遍性があり、 その抽象に身近なモノや人物を代入すれば、そこには、 すぐさま、具体的な「現実」が浮かび上がってくるのである。

なにはともあれ、僕はこのゲームを堪能した。 そして、このゲームを終えたときに、「MOTHER」の意味を 知ることになった。

そして、やっぱり僕は思わずつぶやいてしまった。

まいったな。